アスペンで不安をありのままに受け止めてみる

その日「アスペン」を持って帰ると、その夜からさっそく使ってみることにした。はっきり言うと、初めはよくわからなかったのだが、しばらくすると、おいらにある変化がおこってきた。

それは、杉さんが不安を感じる部分を大事にしろと言ったのを思い出してからのことだ。いつもなら見ないようにしてしまう自分の不安を初めて、おそらく生まれて初めて正面から眺めてみることができた。すると、アスペンの効果だろうか、たしかに不安はちょうど胸の真ん中にあるのが普通のことのように感じられた。しかも今までなら、その不快感というかなんとも言えない重苦しさが嫌いで、いつもそこから逃れることばかりを考えていたことを今更のように思い出した。

そんな風に生まれてこの方生きてきた。不安はよくないものだと決めつけていた。不安が生じるたび、それを無視するか、モグラたたきのゲームのように、違う重しでフタをすることばかりを考えてきた。しかし、不安はどんなことをしても決して消えることはなかった。まるで、柱にひもで括りつけられた犬が、自分の影をぐるぐる追いかけるように、延々と同じところ回り続けてきた。今、生まれて初めて、すべての思い込みを横に置いて、不安をありのままに受け止めてみると、たしかに、不安を感じている「何か」が自分の中にあることに気付くことができるのだった。

それを杉さんは魂と言っていた。おいらには魂は少し重いので、これをあえて「ハート」と呼ぶことにする。

んんっ、おいらは少し自分に感動というか、そう、感謝したい気持ちでいっぱいだった。自分の中に確かに「ある」そのハートに対して何かものすごく大事なものを感じていたからだ。

それを言葉で言い表すのは難しいが、あえて言葉にすると、ハートはおいらのこれまでの価値観を根底から覆す存在に思えたのだ。なぜならば、、、。

社会には様々な価値観が存在する。特においらたちが暮らしているこの資本主義社会には、おおくの人々の頭を占めているこれがいいと言われているメインストリームな考えがある。たとえば、勝ち組とか負け組、セレブとか庶民、才能とか、使命とか、持てる者、持たざる者、つまり、人間社会は有能で、金もあり、家柄もよく、とにかく能力のある人びとを価値としてきた歴史がある。小さい頃より、こういった価値観に誰もが翻弄されてきた。そんで、多くの人は、成長するにつけ知らず知らずのうちに競争社会に身を投じ、勝ったり負けたりを繰り返し、しかしめったに1位にはなれず、敗れ去る人がほとんどではないのか。

つまり何が言いたいかというと、別に成功も失敗もなくても、人は存在している、ただ生きている、それだけで価値があるのではないだろうか。その理由が確かにここにあるのだ。生きる目的を求めて人は様々なことを追求してきた。そのために人を傷つけ、傲慢にもなり、戦争や差別を繰り返してきた歴史がある。映画やドラマでは必ずヒーローが脚光を浴び、多くの人々はそれに憧れた。

でもしかし、多くの人はヒーローにもヒロインにも大統領にもなれない。無名のまま死んでいくだけだ。世界は、建前では平等だが、ありのまま見れば実際は不平等なことばかりだ。そこにいったい何の価値があるのか、誰も説明してはくれない。

だがしかしだ、誰もが、根源の存在と同じ「ハート」を持っている。ハートはこの宇宙の共通の言語である感情を体験し、その情報を持って、死ねばまた根源に戻っていく。根源の存在を湖に例えるなら、我々はその一滴のしずくなのだ。この視点で宇宙を眺めるならば、誰しもが全体の一部であり、同じように愛されていることになる。それを、ハートとマイナスの感情が証明していると、天啓のような考えがおいらの全身を貫いていた。

アスペンは確実に、一気においらの思索を深め、無意識の中の情報を書き換える手助けをしてくれたのだった。

キョジャッキー

キョジャッキー

大学生で1年留年中の身です。身長169cm、体重50kg。慢性的な金欠のため、日々様々なバイトおよび危ない?仕事に精を出す日々ですが、頑張っていきます!